戦争とは何か、人間とは何か

人間とは何か


私は、第二次世界大戦とそれ以降の、人間という動物が犯した愚行の地を自分の足で訪れる旅をしてきました。

2001年のアムステルダムにあるアンネ・フランクの隠れ家を皮切りに・・・

・カンボジアのポルポト政権が残した頭蓋骨の塔(キリングフィールドのチュンエク大量虐殺センター)
・ノルマンディー上陸作戦の屍海岸
・ベルリンの壁
・ナチがユダヤ大虐殺を決めたベルリン郊外の会談の地
・アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所
・ハンガリー動乱のブタペスト
・ドナウ川の「死者の靴」
・プラハの春
・ヨーロッパのの火薬庫、バルカン半島
・セルビア紛争のサラエボ、オリンピック会場の墓標の群れ
・シリア難民の路

(キリングフィールドのチュンエク大量虐殺センターのドクロの塔)




(サラエボのオリンピック競技場の墓標の群れ)


歴史は繰り返し、蛮行は止まず、その度に民間人が犠牲になり、そして惨劇を繰り返す。

なんと愚かな動物なんだ、人間は。


人間は欲望の動物です。欲望は社会を進化させ、退化させます。欲望無しに人生を歩むことは出来ません。聖人君主でさえ、煩悩との呵責に悩みます。

その一方で、人間は愛すべき、愛し合うべき動物、人間。


ならば、その愚かな動物である人間の本質をしっかり見つめよう。自然が与えたもうた人間という動物の「仕様」、つまり人間の本質とは何か。それを知れば、より良く生きる術が導出せるのではないか。そんな思いで、いままで歩を進めてきました。

ユーラシア大陸に散らばるそれらの地を歩くうちに、ふと気づけば足元の日本、それも、いま住む東京で73年前に起こった、人間が起こした大被災をもっと知る必要があると思い至りました。


2016年の世界一周のアウシュビッツを見終えた宿で、凄惨な「実物」を見たあとの興奮というか、悲しみというか、複雑な感情の中でその思いを強くしました。


(今は触っても死なない鉄格子のアウシュビッツ)


加えて、東日本大震災でのボランティア経験が、傷んだ心を持つ人間にどう相対するのか、という難しい経験を期せずして積ませてくれました。

東日本大震災は自然災害でもあり、人災でもある。意味合いは違えど、戦争と結果は同じ、死屍累々です。

人生は生き死に。それをテーマに旅する私には、次はこれだよと、この東京大空襲のイベント参加が運命付けられていたように感じます。


語り部から聴く:10万余人が亡くなった東京大空襲


東日本大震災は3月11日ですが、その前日、3月10日は東京大空襲があった日です。

死者の数で比較してはいけないかもしれませんが、2時間半で10万余人が亡くなったという事実に衝撃を受けました。
注:(東日本大震災は1万6千人弱)

関心を持ったきっかけは、Facebookにあったイベント。こんなのがありました。


『東京大空襲と深川のまちの記憶:ふかがわにばくだんがおちた日』

(イベント詳細を最下段に転記しておきます)

このイベントでは街歩きと共に、語り部さんがお話しいただけるというので、良い機会なので参加しました。


心に残った言葉、「生きているのが怖かった」


語り部は東京大空襲・戦災資料センターで体験を語る会のボランティアをされている上原淳子さんでした。招かれて海外でも公演するという上原さんは、語り部になるなんて思いもよらなかったと言います。

強く印象に残ったのは、戦争は思い出したくない、言いたくもない記憶だった、という言葉でした。

戦争を知らない者は「なぜ戦争を止めなかったか」というシンプルな疑問に行き当たります。そのひとつの答えを上原さんの口から聞くことが出来ました。

「何も言ってはいけない」


それが戦中の生活だったと言います。地下でラジオを聞いているだけで、あらぬスパイの疑いをかけられ、憲兵に引っ張っていかれる。一度憲兵に連れていかれたらタダでは済まない。悲惨な状態、体になって戻って来る。もう恐ろしくて恐ろしくて、子供だった私は生きているのが怖かった、そう語ります。



映画監督の伊丹十三氏(1933~1997)のお父さん、同じく監督の伊丹万作氏(1900~1946)が次のような文章を残しています。戦争の責任は誰だ、誰が戦争に駆り立て、それを後押ししたのかという現代人が誰もが疑問に思うことに、率直に答えています。

戦争責任者の問題:伊丹万作

抜粋して転記します。

『 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 (中略)
 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。』




戦争での被害、民間人への保障は、ゼロです


戦時中の生活の悲惨さを、上原さんだけでなく、参加されていた高齢者の方も口にしていました。聞く方に節制が必要ですが、曰く「東日本大震災の百倍大変だった」と。実際に被災地をボランティアとして経験している人間としては、その言葉の重さが辛く心に残りました。


被爆者には被爆者援護法で保障費が支払われますが、戦争で被った財産や命への保障を国は行っていません。その一方で、戦争で迷惑をかけた周辺国へは、額の問題はありますが保障を行っています。従軍慰安婦での補償問題も最近決着がつきました。

東日本大震災でも仮設住宅、生活支援は行われました。対して戦後の東京では、政府がバラックを売ったのだそうです。それも屋根すら無いものを。

悲惨な逸話はここで挙げれば空白を埋め尽くすことになってしまうので、ご自身で東京大空襲・戦災資料センターを訪れるか、TreckTreckさんが定期的に催すイベントに参加されるのが良いでしょう。

ただ資料やWebを読むより、実際にそこで体験した人の話を生で聞くことの説得力と、心への浸透力は桁違いです。



ではでは@三河屋


関連:天皇と戦後処理: 天皇皇后両陛下の賠償国(フィリピン)ご訪問に接して

関連ブログ



参考:

三河屋ってどんな人? About me
ダブルインカムからシングルインカムへ
ダブルインカムからシングルインカムへ その2
快感:社会の鎧を脱ぐ
3時ラー なるもの
シュフばんざい: House-husband
外国人を家に招く
世界一周のひとり旅は自分との闘い
ミニマリストとの出会い
褒めるときは褒める
しかる時は しかる
デモに参加するということ





イベント詳細

(3月9日、10日で終了しましたが、今後も同様のイベントが催行されると思うので、内容を下に転記しておきます)

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詳細

1945年3月10日 0時8分
B29から最初の焼夷弾が深川をめがけて落ち、間も無く、空襲を知らせるサイレンが鳴り響きました。それから僅か僅か2時間のあいだに江東区・墨田区・台東区は火の海となりました。空襲に備える管制灯下の家中は、ろうそく1本程度の灯だったといいます。

いま私たちの暮らす深川の街であの晩に何が起きたのか、焼け野原に人々の暮らしがどう戻ってきたのか。戦災を体験した語り手の話を聴き、受け継ぐ側として音楽劇やまち歩きを行う若者。自分自身がどう関わり、なにをアクションできるのかを考える二日間です。

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【日時】*どちらかのみの参加可

[一部] 3月9日 18:00 開場、19:00〜21:00 開演
●うちゅうばくはつがくだん紙芝居(音楽劇)
●語り部による戦災の体験談
●参加費 2,000円(1ドリンク込み)

[二部] 3月10日 12:00開場、13:00〜15:00 開演、まち歩き
●語り部による戦災の体験談
●TreckTreck 深川の戦災の記憶をたどるまち歩き
(その後、希望者で東京大空襲・戦災資料センターを訪問します、16時終了予定)
●参加費 1,500円(1ドリンク込み)
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【会場】
 chaabee(福住1-11-11)
 門前仲町駅より5分
 最大30名
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【一部:3月9日ゲスト】
● うちゅうばくはつがくだん
 物語を音楽にのせてお届けする紙芝居楽団です。「ぐうぜん」生まれる音や色を響かせながら、現実世界の扉からお客さんたちを連れ出して、星屑きらめくファンタジックな世界へといざないます。

● モデレーター タウン深川 編集長 片山さん
● あずまや文具店 店主、深川資料館通商店街理事長 分部さん
● 東京大空襲 戦災資料館 学芸員 比江島さん

【二部:3月10日ゲスト】
● モデレーター タウン深川 編集長 片山さん
● 東京大空襲・戦災資料センター 語り部 上原さん

●TreckTreck
 深川の街の歴史文化、いまの暮らしを案内するまち歩き、自転車ツアー、カヤックツアーを企画主催。
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【申込方法】
Facebookのイベント上で「参加する」を押してください。問合せなどは、chaabee (chaabee11111@gmail.com 、080-5409-5099)までお願いします。
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東京大空襲・戦災資料センター

東京都江東区北砂1丁目5-4
〒136-0073
TEL 03-5857-5631



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