デモに参加するということ

2015年8月30日、私は国会前に居ました。

戦争法案に反対する緊急大抗議行動という名のデモに参加するためです。

元々デモに参加するような人間ではありませんでした。

デモに参加するなんて時間の無駄、全く意味不明、そんなふうに52歳になるまで思っていました。

そんな自分が国会前に居ることが不思議だなと思います。


初めて国会前デモに加わったのは2012年。

いま55歳、何が私を変えたのでしょう。自分に問うてみました。




デモに参加するなんて


デモには国会前にしか来たことがありません。最初は2012年8月、首相官邸・国会前原発再稼動抗議のデモでした。なぜそのデモに参加したのか。以前は全くそんなタイプではなかったのに。

東日本大震災のボランティアを震災後から始め、岩手、宮城と被災地に通いました。ボランティアセンターが順次役目を終えていく中で、放射能で立ち入りが出来なかった福島県の南相馬に活動拠点を移動しました。

2012年の夏は、デモ隊が国会前を大きく囲い、警官の制止を押し切って一時は首相官邸に迫ることもありました。放射能で自宅に帰れない南相馬の避難してらっしゃる方々が大勢いるその只中で、その神経を逆なでするような原発の再稼働。同じ日本人なら痛みを分かち合うべきところを、この国を預かる人達がなぜそんなことをするのか。心を寄せていないのか。

原発再稼働、そんなことをやってはいけない。素朴に素直に純粋に、日本人として、人としてこれはいけない。本能のままにその怒りの渦の中に身を置きました。そして同じ気持ちなのでしょう、デモには不似合で不慣れな、幅広い年齢の人達が私の周りを埋めました。

それまでデモなんて、ヒマな人、一部の変人、組合などで動員された人のやるものだと思っていました。あの中に自分が居ることなんて絶対無い、以前のそれは揺るぎないものでした。自己中心的で、自分に関係することにしか関心がない、そういうタイプでした。

それが被災地ボランティアで変わりました。ボランティアで学んだことは、人の心に寄り添うこと。そして自分以外のこと、さらに、自分を育ててくれた日本と言う国に感謝して恩返しをすること。そういう年回りになっているんだと言うことに気付かせてくれました。

初めてデモに参加した私は、その高まる群衆エネルギーとシンクロして、高揚する気分に身を任せて気勢を上げました。2012年の夏、流れは群衆に傾き、政府はデモ勢力の代表者達と話し合いを持つと言うところまで進展しました。その後の経過は皆さんご存知の通りです。つい先日、九州で原発は再稼働を始めてしまいました。何ともやりきれない気分ですが、この件については他の機会に譲ることにして、ここではデモそのものについて述べたいと思います。


今国会でのデモ参加は


時間は移り、本国会で成立を押し通そうとするいわゆる戦争安保法案は、既に衆議院を通過し、恐らく数の論理で参議院も通過して成立するでしょう。それは終戦以来の国会審議の結果を辿れば、可能性が極めて高い事実です。

なのになぜ成立するだろうと分かっていることに、雨の中、わざわざ時間を費やしてまでその場に足を運ぶのか。

デモに参加した後に、ネットでの論評を辿っていくと、何のためのデモだ、無駄だ、意味がない、意味不明の行動だ、反対するなら対案を出せ、などという文字が躍っていてました。多分に扇動的な文章も多いのですが、なんだか高みに立って自分だけ安全なところに居て、遠吠えしているように感じました。

私は自分の目で耳で肌で感じたことしか信じませんし、それを元にしか発言してはいけないと自分を戒めています。

それは2010年以前の私が、自分中心で、気に入らないことには徹底論破、時に全人格否定的な攻撃性を持つ嫌なヤツだったからです。理論武装して相手を論理的にやっつけることで自分が優位に立つ。よくある鼻持ちならないタイプです。

劇的に変わったのは東日本大震災でした。いまでも鮮明に覚えています。国道45号線の橋が落ちて山から市街へ向かった陸前高田市の風景。言葉を失うとはこのことなんだ、ボランティアセンターに向かう車の中に、口は石のように固くなり表情は岩となりました。

それ以来です、行動様式と口から出る言葉が180度変わったのは。

性格と言うのはそう簡単には変わりませんが、思考傾向と言うのは案外簡単に変わるんだなと思いました。それ以来の自分は、外を見つめる自分から、外から見つめる自分、つまり自分の内面をを常に客観視できるようになりました。

これは心の静寂にも繋がりました。常に客観視が出来て、冷静でいられるうえに社会の鎧も脱いでいるので、人の意見に流されず自分の判断で行動できるようになりました。


自分の判断で行動できないなんて、大人じゃない。そう思われるかもしれません。でも周囲の意見、ニュース、ネットの批判記事、一般常識、そういったことに飼いならされてはいないでしょうか。例えば身近なとこで、皆がやるから私もやる、定時にスパッと帰る、嫌なことはハッキリ嫌と言う、簡単そうで日本に居てはなかなかできないことです。

デモでも同じです。あんなの意味がない、時間の無駄、自分には関係ないと切り捨てるのは簡単です。しかし、私の場合は違いました。


何かおかしい、どうも胡散臭い。ならば背景を勉強したうえで現場に立とう。

現場、つまりデモに自分を置いて、事実を五感で感じて、その上で自分で総合判断して次の行動を起こそう。場合によっては思考の軌道修正も必要になるだろう。そう考えました。

製造業で製品開発に長年携わった私は「現場100回」という言葉を知っています。設計室に居たのではダメ、問題は現場で起こっている、というのを実体験で体に叩き込まれました。

自分の設計したものがトラぶれば全ては自分の責任です。頭デッカチになってはいけない、素の目で見て物事の真実を見極めなさい、それも自分自身で、そう悟りが降りてきました。

物事を見る本質は、これと同じだと思います。理論構築は目標へのアプローチを裏付け、その考え方を補強するのには役立ちます。しかし得てしてやりがちなのは、理論先行でそうあるべきだと、膠着、執着、思考停止に陥るケースです。

柔軟に広く視野を持って真実を見極め、実現へアプローチする。それが望ましいやり方だと私は思います。今回のデモ参加は、その自分の判断に従って行動を起こしたのです。





反論が聞こえてきました。時に直接。

選挙で選んだ人たちがやっていることに反対するのは民主主義なのか。

単なるガス抜きだ。

扇動に載せられた低能な奴らだ。

物事は議場で決まる。

何ら建設的な提案をしない、反対だけの奴らだ。

デモを是とするなら憲法も議会も不要

戦争に行かないなんて国を護る意思のない逆賊だ(離党した国会議員ですね)



日本人は自ら主張することが不得意な人種です。自らの見解を明らかにすることを躊躇う人種です。イエス/ノーをはっきり言わず、責任の所在をはっきりさせず、責任をうやむやにする。レベルが高ければ高い程この傾向が高まります。それは日本人の特徴であり、時として良いこともあります。しかし、こと政治となれば、生活に、人生に、家族に直結しています。

海外で生活して、物言わぬ者はその場に居ないことにされる、そういう辛い経験をいやというほど味わいました。どんな場合にも自分の意見を主張する、それが民主主義、デモクラシーなのだと思います。もちろん主張しないという選択肢もその一つでしょう。ただ、決めた人に全部お任せする、お役人がやってくれる、という「お上主義」に私は載せられるつもりはさらさらありません。

自分の言いたいことは自分で言う、それが自由主義であり、それが許されていることを嬉しく思います。逆を言えば、それが出来ない人たちがこの地球と言う星には、日本の何倍の数で住んでいます。そういった国に生まれなくて良かったと心底思います。

そのような幸せな現状に感謝し、日本と言う国に感謝し、そのうえでこの国の行く末、つまりは自分の子供が戦争で殺される確率の低い方へのアプローチとしてデモに参加しました。

細かい論点は書けばきりがないのですが、只の一点、

息子を殺されない法律が欲しいのです。




それは単なる理想かもしれません。歴史はその理想を見事に打ち砕きます。なぜなら人類の歴史は太古の昔から殺戮の連続だからです。

しかし、理想に向かう、願う、夢を見る、それが人類を育ててきたのだと思います。

日本と言う国が大陸の端で特異な文化を育んで、経済的に成功して、奇跡的に70年間も平和で、世界から尊敬を集めています。我が家にやって来る外国人と話をして、いつもそのことに思いが至ります。

奇跡の平和を長い間留めた国、日本。そんな見出しが歴史の教科書に載ることが私にとっての理想です。



参考

三河屋幾朗ってどんなヒト?
ダブルインカムからシングルインカムへ
ダブルインカムからシングルインカムへ その2
快感:社会の鎧を脱ぐ
3時ラー なるもの
シュフばんざい: House-husband
外国人を家に招く
LGBTとの出会い
褒めるときは褒める JALへ
叱る時は叱る 国交省に電話する
デモに参加するということ
お金を使うか、お金に使われるか
一番好きな言葉: 小欲知足


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