日曜日, 6月 05, 2016

Juanと再会して思ったこと(アルゼンチン) Reunion in Argentine

日本は他の星の国だ

そう言う彼の言葉を、私はアルゼンチンに来て理解しました。




Juan(ホワン)はちょうど1年前、我が家にCouchsurfingでやってきました。アウトドア好きの彼とは、東京の街をサイクリングして楽しみました。マテ茶の文化を教えてくれたのも彼です。今回は彼の街、マル・デル・プラタを訪れました。有名な観光地で、ビーチの美しさで有名です。

数多くの外国人を我が家に迎え、私自身、日本の特殊性は理解したつもりでいましたが、私のその理解の深さの足り無さを、南アメリカに来て突きつけられました。


日本にいると自国の悪いところばかりを意識付けられるのは、その国民性ゆえという事だけでなく、ニュースというメディアが、悲劇と悲観をお金儲けにする手段だから仕方のないことだと、私は理解しています。良いニュースがニュースには成り難いのは、人間の無意識の防衛本能がそれを求めるからで、世界のニュースは悲劇に満ちあふれています。

そんな悲劇渦巻くこの地球という星にあって、日本という国が、戦後の世界最貧国から、奇跡という言葉が陳腐に聞こえてしまうほどの成功を納め、これまた奇跡的に純粋かつ安全、便利、高水準な生活を送れる超絶幸せな国であるという事実を、アルゼンチンにおいて考えないわけにはいけない、私は何か追い詰められた様な気持ちになりました。





全ての物が高い

彼はそう言います。お金は限られた人の元に集まり、日本人から見ても高い物価の中で、数分の1の平均収入で実際に人々は日々、私たちと同様に、まさに毎日、今を生きているのです。商店には犯罪防止の鉄格子が付けられ、スポーツ自転車を路上に駐輪するなど常識の範囲外の行為として、止めろと忠告を受けます。

輸入品には100%の関税が掛けられ、外貨持ち込みも制限される。14年に一度、決まって経済破綻が訪れるこのアルゼンチンにあって、厳しい中でも人々は毎日を生きていると言う事実に、胸を突かれるのです。

(事実、空港でポテトチップを買おうとして85ペソと言われて止めました。660円です)




変えようと言う意識がない

彼はそう言います。繰り返される失敗と経済悪化。その劣化の度合いが、日本のそれとは桁が違う、そう思いました。その状態を変えようとする人間の意識が、この国には無い、彼はそう言うのです。それを憂いながら、この国を愛してやまない、彼の姿勢を前にして、国とは何かを考えます。

東南アジアと比較できる経験を、私は持っています。東南アジアも収入は日本に比べて低い。しかしこの両者の間にある違いは、今まで無いものが造られていく東南アジアに対して、有ったものが壊れていくアルゼンチン、そう表現すると分かり易いかもしれません。

アルゼンチンタンゴは哀しい曲が多いんだ、彼はそう語ります。その通り、別れゆく人を想う、演歌そのものです。哀愁が異国人にも伝わる旋律が、アルゼンチンと言う国を象徴しているのだなと、彼のレストランで、お店に流れるアルゼンチンタンゴに合わせて歌う彼と食事をしながら、感じていました。





完全な異国人

日本人である私を、ここではそう表現しても良いでしょう。そんな遥か異国の地に友を持ち、手厚いもてなしの中で、共にペダルを踏み、マテ茶を飲み、食べ、暮らした3日間は、彼の髭面と共に私の記憶の中に、オリンピックトーチ以上の感慨を刻み込みました。



そして、再びこの地を訪れて、彼と共にパタゴニアをザックを背負って旅しようと心に決めました。

空港に向かう長距離バスの車窓には、広大な大地が広がる、これがアルゼンチンです。




日々の旅の様子は、Facebookで綴っています。

よろしければ、ご一緒に世界一周を楽しみましょう。



ではでは@三河屋

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