月曜日, 12月 09, 2013

ライフログ1年: Life-log for 1 year

クラウドが一般的になる前から、やってるひとはやってるライフログ。

私の4つあるブログのひとつです。

日頃ツイッターで呟いているので、それをもうひとつのブログの方で、
1日分を毎日まとめてくれるサービスを使っています。



これを使うと、あれをやったのはいつだったかなあとか、この日は何やっていたんだっけ、といった日々の曖昧な記憶をウエブ上で簡単に検索できます。

ツイッターの纒だけならtwilogなんていうのもありますが、歳を食うと面倒くさくなってワンストップの利便性を優先したいので、自分のブログの中でやっています。


ネットが無い昔は日記を書いていた頃もあって、それはそれで便利だったのですが、検索はシーケンシャルでしか出来ないから、直ぐには見つけられません。日記を持っていないと書けないという不便さもあります。

ツイッターなら、携帯でスマホで、世界中どこでもOK。それを1日分、画像も含めて纏めてくれるので、重宝していました。

いました、と過去形なのは、絶不調に陥った2010年秋から呟くエネルギーが失せてサービスを止めていたからです。元気になって昨年12月に新たにブログページを作って再開しました。気付けば1年。いま見直してみると、あの日はこんなことあったな、こんな人に会ったな、などと忘れていたことをありありと思い出します。


その時々に思ったこと、感じたこと、行った場所、会った人、あとで検索するだろうなあと思う事件やニュースなどを、見出しをつけてツイッターに携帯、スマホ、PCからメールでアップします。なので私のライフログは、そのツイッターによって日々の生活がかなり赤裸々に綴られていくので、おいおいそこまで言うか、という記述も後から読み直すとあったりします。それもよし。その時はそう考えたのだというライブ感の方を大切にしたいと思っています。写真家がカメラで瞬間を切り取るように、ツイッターで瞬間を残すというやり方です。

内容はその瞬間にどう自分が考えたか、行動したかなので、時に辛辣だったり挑発的だったりしますが(その多くは自分に対しての呟きなので)、その瞬間までの長い長い文脈(経緯)を知らずに途中だけ読んだ人には、ナニコレだったりするかもしれません。それはそれで構わないのです。何か物事があって、私というフィルターを通して出てきた呟きが、生の私を表現していると思います。物事の事実だけを呟くのならニュースを読めば事は足ります。


もう世間のしがらみが私を縛ることもないので、何を言われようがお好きにどうぞです。何より人のためじゃなく(たとえ情報シェアでも)自分のためにやっていることなので、好き勝手です。
私は私、誰でもない私であり、物事の価値は自分で決める。他人の物差しで計るならどうぞご勝手に。そんな力を抜いたスタンスで、日々を楽しむ方を優先したいと思います。

なので、かなり勝手なことを呟いていますが、それもそのときの私、自分の分身だと思って客観的に後から読んで楽しんでいます。



ではでは@三河屋


<参考>
*この記事は私の感覚的に似ていて、的を突いているなと思います。
 ライフログの本当のメリット http://diamond.jp/articles/-/19292

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