月曜日, 2月 11, 2013

閖上へ遭難者捜索ボランティアに

宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区の捜索ボランティアに参加してきました。

捜索を行うまでの経緯は、東京の「絆ジャパン」さんと千葉の民間団体「Nine」さんとの間で進んだようで、こちらに捜索に至るまでの経緯が綴られていて、ご遺族を思うと胸が締め付けられます。



このブログに出てくる2月6日の毎日新聞の記事とは恐らくこれだと思います。
<この日に先立つ2月6日のNineに関する毎日新聞の記事>
東日本大震災:不明者探し続けるボランティア団体

上記二つの団体の呼びかけに加えて先の「復興浜団」、富谷町の「STEP」のチカラが結集して100人を超える規模で海岸清掃、遭難者捜索を行いました。

こんなに集まるとは、草の根のチカラここにありという感じで嬉しくなります。


テレビはNHK宮城、東北放送がカメラを回しています。新聞社が何社も来ている様子。上手に報道との連携が取れたようです。夕方のテレビのニュースでも流れていましたので、ご覧になった方もいらっしゃったのはないかと思います。以下は毎日新聞の報道です。

東日本大震災:宮城・閖上 ボランティアら100人が捜索 (毎日新聞2/9)

東日本大震災:会いたい、会わせたい 遺族ら、不明者を捜索 「縮小」に危機感、ボランティアが呼びかけ−−閖上地区 /宮城 (毎日新聞2/9)



恥ずかしながら、報道でよく聞いた「ユリアゲ」という地名の位置が頭に浮かばなかったので地図でみると、仙台空港の北に位置することが分かりました。


絆ジャパンのボラバスに乗せていただいて2月8日の日付が変わる頃に東京を出発、夜通し走って到着した現地は、陸前高田と同じように家の基礎だけを残した真平らな風景が広がっていました。悲しいかな、ここで起こった惨劇が容易に想像できます。

まずは土が盛り上げられてかつて神社があったという祠で合掌、そして付近の閖上中学に移って合掌。作業開始前の常です。

午前中は防波堤のテトラポットの中に入り込んで、清掃方々ご遺骨の捜索。

今朝は冷え込んで寒い。そのうえ強風で体感温度はかなり低い。長靴のつま先から感覚が消えていくほど。

テトラポットの奥の奥まで入り込んでいる漂流物を掻き分けて、対象物を探しながら主だったゴミを袋に入れていきます。詰めては運んで、詰めては運んで。瞬く間にゴミ袋や瓦礫の山が積みあがりました。





気仙沼からの漂流物。昨年、一昨年と何度も立ち寄った魚市場から流れ着いていました。


冷え切った体を昼食で温めていたら、ご遺族から差入れを頂いてしまいました。恐縮至極です。



午後は延々と続く砂浜を捜索。100人でしらみつぶしに一歩一歩。

風が強くて時々押し戻されます。砂が音を立てて飛んできます。風紋が足元で作られていきます。


見えなくなるほど遠くまで歩いて、そしてまた元の場所まで引き返して。





全員で収集したお骨は袋に一杯。恐らく多くは動物の骨だろうと思いますが、一縷の望みをかけて警察に持ち込んで鑑定結果を待つそうです。もしも人骨であれば、長いことお待たせしました、おかえりなさい、ですね。


解散となり、引き上げる車の列をご遺族が並んで見送ってくださいました。

下記の河北新報にある竹沢さんのご一家だと思います。
「集まった骨を息子のものかもしれないと思うと直視できなかった」という言葉を噛締めつつ。

お昼に頂いた差入れと暖かいお味噌汁、そして作業後に振舞っていただいたコーヒーは、震災以降気持ちを振り絞って初めて浜に出てきてくださった奥様によるものだったと後で知りました。

10ヵ月ぶりの名取・閖上捜索 参加100人、民間の力結集 (河北新報2/10)



震災から1年と11ヶ月となり、マスコミも震災経過2年を前に急に被災地の報道が増えているように思います。東京では既に何もなかったかのような日常の中に震災の記憶が埋没してしまっています。今回は思いもかけず沢山のマスコミが来ていました。絵になる、視聴率も上がる、商業主義にまみれた感がしないわけがない。しかし何も報道されないよりはいい。絶対に。そう思います。


ではでは@三河屋

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